先日書いたエッセイを、今度は自分で朗読しました。
3作品あります。
何せ戦争のこととホスピスのことを書きましたので、全体的にトーンが静かです。ちょっと静かすぎます。
反省もしておりますが、これが私の8月なのだろうなと思います。
お時間のある時に、お聴きいただけると嬉しいです。
先日書いたエッセイを、今度は自分で朗読しました。
3作品あります。
何せ戦争のこととホスピスのことを書きましたので、全体的にトーンが静かです。ちょっと静かすぎます。
反省もしておりますが、これが私の8月なのだろうなと思います。
お時間のある時に、お聴きいただけると嬉しいです。
小田原→熱海間は、25.6km。
この間を、駕籠だと約6時間。
明治28年に開通した人車鉄道は、その距離を約4時間で走ったらしい。
この人車鉄道、1車両に客は平均6人、それを2~3人の車夫が押して走行した。
お、押す?
そうか押して走行していたのか。それでも駕籠より、かなり効率良いものね。
6両編成で、小田原熱海間を一日に約6往復するのだそうで、急な上り坂になると、客も降りて車夫と一緒に押したらしい。
押すのか。客も。なんとのどかな。
現代は新幹線で、7分!
6時間→7分。
速いけれども、凄まじい進化だけれども、私も一度くらい客車を押し上げてみたかったかもしれない(え、そっち?)。
芥川龍之介の「トロッコ」は、明治41年8月に人車鉄道が軽便鉄道に転身し、所要時間が約3時間に短縮される、少し前の話。
幼い頃、夢中になって遊んでいるうちに日が暮れかかり、急に不安になって走って帰るあの心細さ、恐怖。
もう、永遠に帰れないかもしれない。もう、永遠に会えないかもしれない。もう、もう、もう……
身に覚えがある。
身体全部がバラバラに弾け飛びそうなあの恐ろしさ。
そしてその感覚は、大人になってもしっかり根っこが残っていて、疲れたり不安にかられたりすると、時折顔をのぞかせては、私の方をじっと見ていたりもする。
芥川龍之介、やっぱり凄いなぁ。
主人公の良平にはモデルがいて、湯河原町吉浜に在住していた力石平蔵というお方。
芥川先生に憧れて上京し、出版社で校正の仕事をしていたそうで、幼い頃の体験を5、6枚にまとめて芥川先生に見せたら、先生は一晩で10数枚の小説に書き上げてしまった。
無事、家に帰れて良かったというシンプルな体験談が、大人の良平が登場することによって、陰影の深い小説に昇華されていた。
平蔵さんは「俺のものじゃなくなった」と悔しがっていたそうだけれど、そうでしょうね。この溝は、どうしても埋められないものだと思う。
良平と一緒に泣き、良平と一緒に走るように読みたい。
読めたかなぁ。道は遠いな。
民俗学者の柳田國男が日本全国を巡って伝承や昔話を採集したのは、1900年代。100年以上も前になる。
今回朗読した「日本の昔話」の「はしがき」が書かれたのは、1930年(昭和5年)。
それですら、96年前の文章だ。
「お話をする人が忙しくなって、もうそうはゆっくりと色々の話をしていられないから」
と、柳田國男は書いている。
96年前も、お家の人たちは忙しかった。
ずっとずっと、今も忙しいままだ。
忙しさの質や情報の量は、けたたましく違っているけれど。
それでも、私の中には聞き覚えている昔話がいくつかある。
確かに残っている。
忙しいお家の人たちに代わって、学校やさまざまなメディアや人々が、小さな人だった私に語り継いでくれていたから。
ありがたいことだと思う。
ずっと以前、民謡をアレンジして唄っていた時にも思ったのだけれど、その土地に根差した「唄」や「物語」を大切にしている地域は、自然も豊かに残されている。
土地の人たちが、伝承し残す努力をしている。
「唄」や「物語」は、一粒の種なのかもしれない。
絶滅させてはいけない。
そこから切り離されると、私たち人間の心は、きっと育たなくなる。
私はきっと怖かったのだと思う。失敗するのが。けなされるのが。
「鼓くらべ」の主人公お留衣も、プライドが高く、人前での失敗を恐れていたらしい。
けれど、お留衣は鼓の名手で15歳。
私は名手でも何でもない64歳。
おいおい、完璧な表現ができるまで待っていたら、たぶん何もできないままおさらばすることになるぞ。
と、自分で自分に突っ込んだ。
それで、YouTubeにアップしてみた。
今、心臓がドキドキしているのは、動悸か、はたまたときめきなのか。
お時間のある時に、お楽しみいただけましたら幸いです。
なにしろ、山本周五郎作品。味わい深い短編ですので。